東洋医学研究室

東洋医学研究室

選択してください

鍼灸の概要

抗うつ薬の目覚ましい普及にも関わらず、うつ病患者が増え続けている状況の中で、アメリカや中国などにおいては、「抑うつ」を主訴として鍼灸院を訪れる人は少なくありません。鍼灸は気分障害における代替医療として注目されており、世界保健機関(WHO)もうつ病や神経症に鍼灸が有効である可能性を支持しています。中医学では「心身一如」というように、心と身体は一体不可分のものとして捉えられています。身体を病めば即ち心を病むことであり、心を病めば即ち身体を病むということであると考えられています。東洋医学では、身体状態を改善することが精神の健康にも役立つという考えが根本にあると言えます。
鍼灸はその方法論が多様であり、その抗うつ効果を客観的・定量的に検証することは容易ではありません。特に日本鍼灸では「百人の鍼灸師がいれば、百通りの鍼灸がある」と言われるように、体系化された手法が確立されておらず、個人の経験則に頼りすぎている側面も指摘されています。また、これまでに海外で報告された鍼灸のうつ病に対する無作為化対照比較試験(RCT)では、試験デザインの不備やプラセボ群との差が出にくい傾向が指摘されています(文献1,2)。静かな環境において臥位をとり、触診や刺鍼で肌を触れながら、傾聴スタイルの患者治療者関係において、鍼灸の施術行為自体がうつ症状に対してプラセボ効果を持ちうるという指摘もあります。このためにシャム対照群の設定が難しいという側面もあり、純粋な鍼灸効果のエビデンスを検証するには多くの工夫が必要になります。最近ではシャム対照群を設定せずに、抗うつ薬に鍼灸を付加する研究デザインも採用され、一定の結果が得られています(文献3)が、上記の理由から鍼灸の効果のみを反映しているかどうかの検証は容易ではありません。

参考文献

  1. Smith CA, Hay PP, Macpherson H. Acupuncture for depression. Cochrane Database Syst Rev. 2010(1):CD004046.
  2. Leo RJ, Ligot JS, Jr. A systematic review of randomized controlled trials of acupuncture in the treatment of depression. J Affect Disord. 2007;97(1-3):13-22.
  3. Qu SS, Huang Y, Zhang ZJ, Chen JQ, Lin RY, Wang CQ, et al. A 6-week randomized controlled trial with 4-week follow-up of acupuncture combined with paroxetine in patients with major depressive disorder. Journal of psychiatric research. 2013;47(6):726-32.

鍼灸の効果と安全性

鍼灸は長い年月を生き延びた先人の智慧でありますが、これを医術として用いる以上は現代医学による検証が必要となります。鍼灸の西洋医学的解釈は、鍼が皮膚(経穴)のポリモーダル受容器などを刺激して、求心性線維(C線維を含め)を介して刺激が中枢神経系へ伝わり鎮痛効果や抗うつ効果などを示すと推測されています(ボトムアップ・ニューロモデュレーション仮説)。脳内では視床下部や脳幹、大脳辺縁系を中心として、モノアミン、神経ペプチド(サブスタンスPなど)、オピオイド(βエンドルフィン、エンケファリンやダイノルフィン)の放出を誘導すると考えられており(文献1,2)、鍼灸の抗うつ効果の仮説モデルの1つになっています。その他、自律神経系、内分泌系(特に糖質コルチコイド)、免疫系への修飾効果も報告されています。当センターでは、うつ病患者さんの協力を得て、鍼灸によって迷走機能が改善することをシャム対照試験で示しています(文献3)。また、ストレス応答や免疫系への影響についても現在研究中です。西洋医学において鍼灸を臨床応用する上で、今後もこのような知見の集積が必要とされています。
これまでのレビュー論文の中では、鍼灸の抗うつ効果に関して有効性、安全性、忍容性の観点からこれを支持する文献(文献4,5)と懐疑的な文献(文献6,7)が報告されてきました。2010年にはより大規模なメタ分析(文献8)がなされ、単極性うつ病患者(n=1998)と脳血管性うつ病患者(n=1680)を解析し、両群における鍼灸の安全性と抗うつ効果を示唆するものでありました。しかし、同じ年に報告されたコクランのシステマティックレビュー論文(n=2812)ではエビデンスレベルは十分ではないとする報告がなされています(文献9)。恐らく、これ自体は鍼灸の抗うつ効果を否定するものではなく、過去の鍼灸臨床研究の質が十分でなかった事実とシャム対照の困難さを示しているとも考えられます。
最新のメタ分析論文(文献10)では、a) SSRIのみによる治療群とb) SSRI+鍼灸による治療群とを比較したRCTについて複数の国際的基準によって13試験を厳選し、計1046名のうつ病患者について検討しています。結果は、6週間においていずれもb)群のほうがa)群よりもハミルトンうつ病評価尺度 17項目(HAMD-17)の平均スコアが低いというものでした。また、治療反応率においても、2群間の差が有意に認められました(リスク比:1.23、95% CI:1.10 - 1.39、p < 0.001)。安全性・忍容性の観点では、鍼灸による有害事象の報告はほとんどなく、むしろb)群のほうがSSRIによると思われる副作用の報告が少ないとするRCTも含まれていました。これらのことは、SSRIによる治療に鍼灸を追加することで、抗うつ効果を増強しその効果発現が早くなる可能性と、抗うつ薬の忍容性を高める可能性を示唆しています。
鍼灸は侵襲性が低く安全な治療法でありますが、鍼灸と関連して起こりうる合併症としては、外傷性気胸、末梢神経障害、感染、鍼の皮膚埋没、刺鍼部の出血、灸による熱傷などを挙げることができます。これらの合併症にたいする予防対策は、WHOの安全性に関するガイドライン(1999年)および、国内の鍼灸安全性委員会によるガイドライン(2007年)およびマニュアル(2010年)に準拠して行われます。使用される鍼は、JIS適合の滅菌済み単回使用毫鍼であるため感染の可能性は最小限となっています。

  1. Zhao ZQ. Neural mechanism underlying acupuncture analgesia. Progress in neurobiology. 2008;85(4):355-75.
  2. Ulett GA, Han S, Han JS. Electroacupuncture: mechanisms and clinical application. Biol Psychiatry. 1998;44(2):129-38.
  3. Noda Y, Izuno T, Tsuchiya Y, Hayasaka S, Matsumoto K, Murakami H, Ito A, Shinse Y, Suzuki A, Nakamura M. Acupuncture-induced changes of vagal function in patients with depression: A preliminary sham-controlled study with press needles. Complement Ther Clin Pract. 2015 Aug;21(3):193-200.
  4. Wu J, Yeung AS, Schnyer R, Wang Y, Mischoulon D. Acupuncture for depression: a review of clinical applications. Canadian journal of psychiatry Revue canadienne de psychiatrie. 2012;57(7):397-405.
  5. Wang H, Qi H, Wang BS, Cui YY, Zhu L, Rong ZX, et al. Is acupuncture beneficial in depression: a meta-analysis of 8 randomized controlled trials? J Affect Disord. 2008;111(2-3):125-34.
  6. Leo RJ, Ligot JS, Jr. A systematic review of randomized controlled trials of acupuncture in the treatment of depression. J Affect Disord. 2007;97(1-3):13-22.
  7. Mukaino Y, Park J, White A, Ernst E. The effectiveness of acupuncture for depression--a systematic review of randomised controlled trials. Acupuncture in medicine : journal of the British Medical Acupuncture Society. 2005;23(2):70-6.
  8. Zhang ZJ, Chen HY, Yip KC, Ng R, Wong VT. The effectiveness and safety of acupuncture therapy in depressive disorders: systematic review and meta-analysis. J Affect Disord. 2010;124(1-2):9-21.
  9. Smith CA, Hay PP, Macpherson H. Acupuncture for depression. Cochrane Database Syst Rev. 2010(1):CD004046.
  10. Chan YY, Lo WY, Yang SN, Chen YH, Lin JG. The benefit of combined acupuncture and antidepressant medication for depression: A systematic review and meta-analysis. J Affect Disord. 2015;176:106-17.

鍼灸研究対象者

令和元年5月1日以降、当院の鍼灸研究は新規のエントリーを終了して、これまで10年に渡る研究データの解析作業に入っております。次のステップのための重要な時期と考えておりますので、何卒ご了承下さい。

東西両医学の融合

明治維新以降の我が国において、長い伝統のある漢方や鍼灸は民間療法などとして事実上医療制度から切り離された歴史があります。そして今、我が国の鍼灸の基礎研究や臨床研究は大いに立ち後れています。その一方で日本人が育て引き継いできた日本鍼灸は欧米諸国の医療や福祉の現場で受け入れられているのです。
2007年、当精神医療センターに「ストレスケア病棟」を新設するにあたり、そのチーム医療の一環として鍼灸を取り入れることとなりました。東西両医学の立場から「共通言語」を確立し、お互いが治療を補完するうつ病治療の可能性について検討を重ねました。精神医学や脳科学と鍼灸を組み合わせるためには名人芸としての鍼灸ではなく、鍼灸介入や東洋医学的身体所見を可能な限り体系化、定量化する必要性があります。まずは鍼灸臨床の経験上、精神症状との関連が強い東洋医学的な身体所見(経穴の反応)をスコア化することを出発点としました(図1)。この試みにおいて「Kiikoスタイルの鍼灸」が大変参考になりました。故長野潔氏によって体系化された長野式鍼灸治療(文献1)について、米国ボストンで活動する松本岐子氏は腹診中心のKiikoスタイル (palpation based acupuncture) に発展させました(文献2,3)。Kiikoスタイルの特徴は、腹診や経穴の触診、問診を中心に診断を行う点に加えて、鍼灸の精神活動への影響を重視している点が挙げられます。長年の修練を要する脉診ではなく、多くの臨床家が同じように評価できる腹診などの触診所見をスコア化することが大切なのです。Kiikoスタイルは西洋人にも比較的容易に実践出来る鍼灸技法であり、米国ボストンのハーバード大学医学部でも採用され、同大学の医師生涯教育コース「Structural Acupuncture」において多くの臨床医がKiikoスタイルを学んで実践しています。

図1

2008年4月に「ストレスケア病棟」が開棟し、臨床研究として鍼灸が行われるようになりました。多くの被験者さんが「身体がとても楽になりました」と異口同音に話し、被験者の満足度は予想以上に高いものでした。うつ病や抗うつ薬治療にともなう自律神経失調が如何に患者さんのQOLを低下させているのかを痛感しました。毎月開催される鍼灸カンファランスにおいて、鍼灸師、精神科医、精神科看護師、臨床心理士の間で意見交換を重ね、2009年5月に「K式鍼灸スコア」(初版)の完成に至りました(文献4)。K式鍼灸スコアの「K」は故長野潔氏と松本岐子氏と芹香病院(または神奈川県立精神医療センター)のイニシャルに由来しています。K式鍼灸スコアは評価者間で高い信頼性を示し、その総得点はBeck抑うつ評価尺度(BDI)と有意な正の相関(p=0.664, n=25, p=0.0003)を示しました(文献4)。以後はK式鍼灸スコアを活用して、毫鍼を用いたオープン試験や円皮鍼を用いたシャム対照試験などを実施しています。2014年12月1日からは神奈川県立精神医療センター新病院が開院し、サーモグラフィーや光トポグラフィーを活用した鍼灸研究も開始されました。
うつ病臨床の中で鍼灸の可能性を再発見するためには、鍼灸師と精神科医が協同して臨床研究を実施する必要性があると考えます。鍼灸の高い安全性・忍容性の利点を活かして、より脆弱な対象患者集団への応用研究も重要と思われます。依存症医療や災害精神医療の分野においては、耳鍼などのより簡便な技法の導入も重要となります。ただ単に鍼灸がうつ病にも効きそうだという曖昧な話ではなく、例えば「うつ病患者の迷走機能(またはストレス応答)を改善する鍼灸」などと生物学的効果を特定した介入技術として確立できれば、古い医術を先進的な医療として再発見することができるかも知れないと期待しています。

参考文献

  1. 長野潔. 鍼灸臨床わが30年の軌跡―三十万症例を基盤とした東西両医学融合への試み 医道の日本社; 1997.
  2. Matsumoto K, Birch S. Hara Diagnosis: Reflections on the Sea Paradigm Pubns 1988.
  3. Matsumoto K. Kiiko Matsumoto's Clinical Strategies; Vol 1&2.
  4. Nakamura M, Murakami H, Ito A, Shinse Y, Suzuki A, Saeki T, et al. K-style Acupuncture Score (KSAS); its reliability and clinical correlation. Japanese Journal of Clinical Psychiatry. 2012;41(3):323-32.

研究業績

原著論文

  • 中村 元昭、村上 裕彦、伊東 新、新瀬 ゆかり、鈴木 文、佐伯 隆史、野田 賀大、川本 絵理、岩成 秀夫、松本 岐子:K式鍼灸スコア (KSAS) の信頼性検定と相関分析―うつ病など精神疾患に対する鍼灸治療の試み―. 臨床精神医学41(3): 323-332, 2012.
  • Noda Y, Izuno T, Tsuchiya Y, Hayasaka S, Matsumoto K, Murakami H, Ito A, Shinse Y, Suzuki A, Nakamura M. Acupuncture-induced changes of vagal function in patients with depression: A preliminary sham-controlled study with press needles. Complement Ther Clin Pract. 2015 Aug;21(3):193-200.
  • Noda Y, Matsumoto K, Murakami H, Ito A, Shinse Y, Suzuki A, Sawada Y, Ishii G, Iwanari H, Nakamura M*. Clinical Application of the K-style Acupuncture Acore (KSAS): Towards the Establishment of a Novel Rating Scale for Depression in Acupuncture Medicine. Journal of Neuropsychiatry. 2015 Vol. 1 No.1:8.

総説・著書

  • 中村 元昭,村上 裕彦, 伊東 新, 野田 賀大:精神科医療における鍼灸の可能性。医道の日本71巻9号 Page127-135, 2012.
  • 中村 元昭:うつ病(分担).精神保健福祉白書(2014年版).中央法規, 2013.
  • 中村 元昭:【うつ病に対する新しい治療の試み】鍼灸によるうつ病治療 ボトムアップ・ニューロモデュレーション。精神科治療学30巻5号 Page619-623. 星和書店, 2015.

学会発表

  • Nakamura M, Murakami H, Ito A, Shinse Y, Suzuki A, Saeki T, Noda Y, Kawamoto E, Iwanari H, Matsumoto K. Clinical application of acupuncture for major depression: reliability and utility of K-style Acupuncture Score (KSAS). Poster Presentation at 11th World Congress of Biological Psychiatry (WFSBP), June 22, 2013, Kyoto, Japan.
  • 中村 元昭:シンポジウム3「ストレスに対する東洋医学的アプローチ」「精神科医療における東西両医学の融合」第84回日本衛生学会学術総会 岡山コンベンションセンター(岡山県)(2014年5月26日)
  • 中村 元昭、村上 裕彦、伊東 新、新瀬 ゆかり、鈴木 文、佐伯 隆史、野田 賀大、川本 絵理、岩成 秀夫、松本 岐子:口演発表「うつ病医療における東西両医学の融合」第110回日本精神神経学会学術総会 パシフィコ横浜(神奈川県)(2014年6月26日)
  • 中村 元昭:教育セミナー「鍼灸師がうつ病患者を診るために」鍼灸師に必要なうつ病の診かた、最新治療、注意点。第65回全日本鍼灸学会学術大会 札幌コンベンションセンター(北海道)(2016年6月11日)